LEGACYKosugi 3rd Avenue 開発への想い

Kosugi 3rd Avenueがあるこの場所は、
かつては田畑が広がる何もない場所でした。
大正時代に入り多くの企業の工場が移転してきて、
閑散とした武蔵小杉駅前には
多くの人が往来する道が生まれました。
その賑やかさに引き寄せられるように、
中原郵便局や中原警察署、消防署、電話局、
さらには川崎市役所中原支所や公民館、図書館、
総合病院などの公共公益施設も設立され、
商店や飲食店が軒を連ねる街、
小杉町3丁目になっていったのです。

ここは、道から生まれた賑わいが育てた街です。

しかし、1990年に入りバブルが崩壊しました。
それに伴い、工場は次々と撤退していくのですが、
都心に近く駅前という立地がディベロッパーの目に留まり
次々とタワーマンションが林立していきます。
“工業の街”を脱皮し住環境が大きく変わっていくと、
防災や生活インフラなども進化する必要があります。
この街もこの変化を受け止め
時代に即した街にしなければならない。
そう感じた地元地権者たちが動き始めたのが、
再開発のきっかけになりました。

再開発に当たって大切にしたことは小杉町3丁目を
育んんだ“道から生まれた賑わいの継承”です。
目には見えないけれどこの街に眠る人々の
営みの記憶をすくいあげることこそ
他の街にはないオンリーワンの
街づくりになると考えました。
そうして生まれた新たな街の名前がKosugi 3rd Avenue。
「アヴェニューが創る街と暮らし」という
開発コンセプトを掲げ道が育んだ歴史をベースに
地権者が主体となってプロジェクトは
推進されていきました。

プロジェクトが始動し街が完成するまで
およそ20年の歳月がかかりました。
当初は賛成者もいれば反対者もいました。
しかしこの街の未来を想えば想うほど
必要なプロジェクトであることを
関係者一人一人が汗をかいて説いてまわり、
地域に愛されたからこそ地域に還元する事業であることを
住民と一体となったイベントや
ワークショップなどを通じて伝えていきました。
竣工を前にコロナウィルスが世の中を席巻し
オリンピックも延期となりました。
マスクで笑顔が消えつつあるムードが
今でも続いていますが、
心の笑顔は決して消えないように。
地域の人や訪れる人たちの期待に沿えるように心の笑顔を
応援するキャンペーンも実施してきました。

なぜなら、それがこの街の地域の人にできる
恩返しだからです。

いよいよこの街がオープンします。
最新の防災設備や生活インフラを纏い
商業・業務、公共公益、都市型住宅の3つの機能が
一体となった複合施設、Kosugi 3rd Avenue。
道から生まれた賑わいの継承というコンセプトを
具現化するために道路の付け替えが行われ、
アヴェニューを軸に設置された3つの広場や
サウスパークにおけるステップガーデンなどが
設けられました。

小杉町3丁目のレガシーを引き継ぎ
3世代がつながりあい、
誰もが心から笑顔になれる街を目指して。
これはゴールではなく
この街の新たな歴史のスタートでもあります。

  • 3つの機能が揃った街

    商業・業務、公共公益、住宅の3つの機能が揃い、快適かつ文化的な暮らしを実現するミクストユース・イノベーション・プロジェクトです。

  • 3世代がつながる街

    子供からお年寄りまで3世代がつながり、世代を超えてこの街の文化が継承されていく、ユニバーサルな交流の要になります。

  • 武蔵小杉の要の街

    東横線・JR南武線、府中街道に挟まれ、かねてから“扇の要”と呼ばれたこの場所は、これからも武蔵小杉の要になります。

  • 第3の場所になる街

    自宅とも職場とも違う、なおかつその2つを結ぶ、誰もが心からスマイルになれるとびっきりの心地よい第3の場所となります。