小杉町3丁目の歴史
徳川家康はじめ、歴代将軍ゆかりの地。
武蔵小杉駅の北側を通る中原街道は、東海道が整備されるまでは徳川家康が江戸入城の際に利用した、江戸と平塚を結ぶ重要な表街道でした。「小杉御殿町」や「小杉陣屋町」などの地名や旧跡が示すように、街道沿いには徳川家の歴代将軍が鷹狩を楽しむ際に宿泊した御殿や陣屋が置かれ、宿場町としても賑わいました。当時の街の中心は、中原街道と府中街道が交差する小杉十字路のあたりで、小杉町3丁目を含めたこの周辺は水田や畑が広がっていました。
新たな賑わいを育んだ、鉄道駅の開業。
街の中心がこの地に移ったのは、昭和に入り南武線と東横線の「武蔵小杉駅」が開業してからです。多くの通勤客や学生たちの往来が生まれ、その活気に引き寄せられるように郵便局、警察署、消防署、電話局などの公共施設が、小杉十字路から移転してきました。戦後には川崎市役所中原支所(現在の区役所)が開設され、公民館(後の市民館)、図書館、総合病院などの新設に伴い商店や飲食店が軒を連ね、新たな賑わいと文化を育んでいったのです。
利便性を高め、人気の街へと発展。
昭和から平成へと時代が移り変わり、武蔵小杉は新たな発展期を迎えることになります。そのひとつが交通利便性の向上です。JRと東急、ふたつの武蔵小杉駅は、合計14路線が乗り入れるビッグターミナルへと発展しました(令和2年現在)。東京と横浜を結びながら、新宿や品川といった都心の主要駅に直結し、新幹線や空港へのアクセスも向上。川崎市の広域交通拠点として利便性を高めていきました。
交通利便性が向上すると同時に、駅を中心とした約115ヘクタールのエリアでは16案件もの再開発プロジェクトが次々と進められ、タワーマンションをはじめ多くの住宅が誕生しました。それに呼応するように、大型商業施設や公共施設が駅周辺に集積し、生活利便性も大きく向上したのです。人気のショップやレストランが出店する一方、駅前や近隣にある昔ながらの飲食店や商店街も利用できることから、一躍県内外から注目される、住みやすい人気の街へと発展していったのです。